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第二章 

9話)帰り道


 あの後、優斗は雅に何かしたのだろうか?
 いや、するにしても、そんな時間がないはずだった。
 授業の途中で教室に入るのも気が引ける。もう一時限だけ待って教室に入った芽生を迎えた友人達の視線は、同情のこもったものに変わっていた。
「竹林君に聞いたんだけど、雅にやられたんだって?」
 こっそり聞いてくる久美の言葉で、雅の件は伝わっているのが分かる。
「うん。優斗君。なんて言ってた?」
 芽生の問いに、彼女等は険しい表情になって、
「あの子、勘違いしてるんでしょ?。竹林君の彼女は芽生なのに、芽生に妙なこと言って、手を出してきたって・・。」
 言いながらも、怒りがムクムク湧き出てくるらしい。キツイ目付きになって、
「私達も、協力するから。」
 久美の言葉に、他の友人達もウンウンとうなずいて、
「困った事があったら、相談してね。・・とりあえずは、芽生を一人にさせないようにしよう。」
 前の言葉は芽生に、後の言葉はみんなに話しかけたのは久美だった。
 それぞれ合意の顔でうなずく友人達に、芽生はまた涙がでそうになる。
 高校に入って、この子達と友達になって本当によかったと思った。
「ありがとう、みんな・・。」
 言いながらも、同時に、優斗の言った『友達を借りるよ。』と言った言葉を思い出す。
 純粋に心配してくれている彼女等に、何をさせようとするつもりなのだろうか。
 不安になった。



 その日も優斗に誘われて一緒に帰る。
 芽生は、保健室での出来事を思い出して、自然に顔が赤くなってしまうのだが、彼の口調は穏やかで、表情も元の静かなものに戻っていた。
 彼は、芽生に対しても、怒っているはずだった。それさえも今の彼からは全く見えない。
 表情の端々に彼の感情を読もうと、感覚を研ぎ澄ませて注意していると、彼はたまに苛立ったように口を引き結んだり、かすかだが眉をひそめたりするのだ。
 人形のようにとりすました外見で押えこんでいる激情が、垣間見えるような錯覚を覚える。
 そんな表情が見えるたびに、めまいがするような気持ちを隠して、とにかく何でもないように取り繕うのに必死だった。
 優斗が振ってくるどうでもいい話に、適当にあいずちをうちながらも、自然に彼の口元に視線が向かってしまう。
 保健室での、いきなりの彼の行為があるからだ。芽生をびっくりさせたのは当然のことで、それなのに嫌な感じは全然しなかった。
 一緒に暮らす翔太に、全然相手にされない芽生からしたら、かえって求めてくれたのが、嬉しかった程だった。
 優斗の彼女達は、いつもあのキスを受けていたのだろうか。
 ぼんやり思ってハッとなる。
(私ってば、何を考えてるのかしら・・。)
 心の中で一人つぶやき、気まずい思いをするのだった。
 感情を抑えた顔ではない。さっき見せてくれた、“素”のままの優斗の顔を、もう一度見たいと思う気持ちは、整理のつかない気分にさせられた。
 芽生は戸惑いを隠せない。
 妙にギクシャクとしまう芽生に、苛立ちを秘めた優斗が寄り添い、電車に乗り込んだ二人はお互い逆方向になる駅にたどり着くと、その場で別れたのだった。駅に降りようとする芽生に、優斗が一言。
「今度の土曜日。二人で会おうか。どこがいい?」
 言ってこられて、瞬時に芽生の中で、いろんな場所が、頭の中で浮かぶ。
 実は翔太と行きたかった様々な場所。
 水族館に、遊園地。チューリップの丘に近所のカフェ。
 翔太はクラブ活動に忙しくて、芽生の誘いに一回だって乗ってくれたことがなかった。
 中学の時に、友人達が彼と二人でデートした時の模様を、さんざんノロケられて、当てられてきた場所達。
「遊園地!」
 即答した芽生に、あっけに取られた顔をした優斗が、次の瞬間。花開いたように華やかな笑みを浮かべた。
「オーケー。場所はこっちで決めておいていい?またメールするよ。」
 手を振ってバイバイをする優斗の目の前で、ドアが閉まった。
 その後、優斗の笑顔が芽生の頭の中で、残像のように残ったのはいうまでもない。


(・・・・カッコイイ男の子って、それだけで女の子を惑わすの?)
 ドキドキと高鳴る胸を押さえて、芽生は電車の中で立ちすくむ。
 翔太という“想い人”がいる芽生でさえ、彼の雰囲気にのまれてこんな感じになってしまうのだ。
 いや、彼はカッコイイだけはない。
 そんな事くらい、彼を一目見た時から分かっていたではないか。
 ツクリモノのような顔の造作に、命を吹き込むのは瞳。
 内側から溢れてくる彼独特の強い意志が、より一層周囲の者達を惹きつけ、惑わすのだ。
 それについては、彼自身そんなに自覚はないかも知れなかった。
(自覚があったら、きっと鼻についてただろうなあ。)
 漠然と、そんな事を思う。
 ぼんやり考え事をしていても、自分の家がある駅に電車が停車すると、体が勝手に動く。
(・・あぁ。冷蔵庫の中はほとんどないんだった。今晩のおかずは何にしよう・・・。)
 家の用事を考えだした芽生は、まるでチャンネルが変わったように、気分が切り替わる。
(肉じゃがでいいか。後は、菜っ葉類も買っておいて・・トイレの洗剤がもうないんだ。)
 昨日、トイレ掃除をする時に、なかった洗剤の事まで思いだすと、同時に日用品の安い薬局の名前が頭の中に浮かんでくる。
(あそこに寄るんだったら、あっちのスーパーにしよう。)
 駅から出る頃には、立派な主婦の顔?になっている芽生なのだった。